2011年3月17日木曜日

3月11日

私は仙台にいました。
今は関東に避難しましたが、災害に対する温度差に驚いています。
関東に来て初めて自分が被災者だったことを認識しました。
この生活を数日するとあの恐怖を忘れてしまう気がして、
今ここにまとめます。

まだ被災地にいる皆様に一日でも早く、笑顔が戻る日がくることをお祈りしています。


11日午前、引っ越し業者の見積もりを出してもらいダンボールの発注をした。
その後隣町の警察署へ車庫証明書を受け取りに行き、図書館で本を14冊かりた。
思いのほか予定がスムーズだったので2時に予約してある予防接種までゆっくりいっぱいごはんを食べた。
いつもは昼ごはんを殆ど食べないけど、その日はなぜかミスド二個にはなまるうどん。
さらに時間が余ったから娘のパンを買いに行った。
娘はパンと米しか食べない偏食だ(0歳11ヶ月)。

2時に予防接種に行き、予定よりはやく2時半に終了。
いつもだったらすぐにバスで家に帰るのだが、なんとなくショッピングモールの五階にあるプレイランドに行った。

プレイランドでちょっと遊ばせて、3時7分のバスに乗るために2時半すぎに授乳室に行った。

そこで地震はあった。

幸い授乳室には他に1人いて、その人がすぐに「外に行こう」って言ってくれたから、まだ歩けるうちに多くの人がいる空間に出れた。

スタッフが一生懸命「座ってください」と叫ぶ。

もうその時には立ってられないぐらいの揺れだった。

大きなコーヒーカップに乗っているような、ジェットコースターに乗ってるような揺れだった。
室内のロッカーや本は全て倒れて、大きな金庫も落ちてきた。
5階で耐震構造のビルの遠心力で自分も吹っ飛んだからよかったものの、もし飛んでなかったら金庫につぶされてた。

何分間揺れてたかは分からないが、NZを思い出していた。
電気は切れ、ショートして火花が散り、緊急放送が流れた。

私がいたプレイルームは一時保育設備も備える。保育士は一生懸命託児の赤ちゃんをおぶう。
抱っこひもが足りなく、声がとぶ。

初めて知らない人と抱き合って「大丈夫大丈夫大丈夫」と声を掛け合った。
その人の服に鼻水付けた。

火災発生と放送が言う。避難令は出ない。火災鎮火、火災発生、火災鎮火が繰り返される。

スタッフが荷物をまとめて廊下に出るよう指示を出した。

下駄箱はぐちゃぐちゃ。幸い入口近くに靴を置いていたからすぐに見つかった。
ベビーカーは置いていく。
14冊の本が重たい。

廊下では建物の警備員が指示を出す。

しゃがんで、ガラスから離れて、まだ動かないで。





しばらくして歩くよう指示されたが、余震のたびに座る。




このころツイッターを始めた。何かしなきゃという使命感だったが、なんの意味もなかった。でも精神的に少し落ち着いた。



天井の一部は剥げ、非常階段の踊り場は2つに亀裂が入っていた。

外にでると建物から避難した人がひしめく。
スポーツクラブから避難した人は半そで、車に服を置いてきた人は薄着、施設によっては靴を履いていない人もいた。

ここで靴と上着をもっていない乳児を抱えたお母さんにブランケットをあげた。
私と娘はは幸いにもダウンを着ていたから。

陥没する道を抜けて近くの小学校の校庭へ。最初入口近くにいたが、そのそばの電柱が傾いていたから中央へ移る。
雪が降ってきた。
余震が続くから他には移動できないが、別段アナウンスもない。
プレイランドのスタッフがひとりひとりに声をかける。安心する。
施設のバスタオルを貸してくれる。スタッフは上着を羽織ってないのに、サンダルなのに。
そのやさしさとプロ精神に感銘だ。


5時を過ぎて自主解散となった。


バスは動いていない。ベビーカーはない。14冊の本と8キロの娘と家まで抱っこひもで40分歩くか。
雪が寒い、傘はない。



家には誰もいない。
主人は海外で、「生きているからとりあえず予定通り帰ってくればいい」と連絡しておいた。
そのときはこの地震の規模を知らなかったから。



家に誰もいない恐怖と、傘がないのと、安心したいのとで、迷ったあげく、ショッピングモールの向かいにある教会に行った。
たまに日曜日に行く。


すると牧師夫人が車に避難していた。
事情を話すと車に入れてもらえた。
そしてそのまま一泊させてもらう。

5人乗りの車に牧師先生、牧師夫人、その子供(1歳半)、私、娘。
申し訳なかったけどほんとうに嬉しかった。

私の家にはラジオも懐中電灯もない。そして古いアパートだから倒壊していることも懸念だった。

牧師先生の家は一階が教会、2階がプライベートスペースらしいが、壊滅的だったらしい。
家には入れない。

それでも教会のお菓子を探し出してくれて、食べさせてくれた。

震災一日目の晩御飯はクッキー。
子供たちはたまたま買っておいた赤ちゃん用パンとバナナを食べた。

車の後部座席をフラットにして寝させてもらった。
ガソリンが勿体無いから暖房は殆ど入れない。
でも寒さというよりは余震で眠れなかった。
5人で車だから狭い。申し訳なかった。


車の中で荒浜の津波のニュースを聞く。とても怖いが、土地勘がないためどの程度離れているのか、どっちの方角かわからない。
加えて隣の区役所まで水が来たと聞いた。今いる場所ととても近いらしい。津波警報が続いていたから怖かった。
更に10m先にある活断層が触発されないか不安だった。


ラジオから流れるニュースで日本が壊滅的ということを認識した。
日本がなくなるのではと本気で思った。
携帯電話は殆ど使えない。


緊急地震速報と救急車と消防車におびえながら朝を待つ。
これが1日目。

この日牧師先生の車に泊まってなかったら、まだ笑うことができなかったと思う。